ASD毒親からの卒業方法

こんにちは、ASD母です。

今回のテーマは

『ASD毒親からの卒業方法』

です。

今は実家を離れ、遠くで
一人暮らしをしていますが、
実は二度目の挑戦だったりします。

一度目は15年前、某食品会社への
就職を契機に、逃げるように
親元から離れました。

母親の八つ当たりが
激しかったからです。

当時、父は定年、
母はパートで
働いていました。

会社勤めの妹は
家を出る気は全くありません。

(現在も実家暮らし続行中)

妹は雄弁で愛嬌もあり、
世渡りも器用なことから
両親も妹をかわいがりました。

私は家を出たかったのですが、
会社勤めと喘息のコントロールが
難しく、針のむしろの中に
身を置かざるを得ませんでした。

「身体が弱く、結婚も会社勤め
 もダメ、アンタなんか
 生むんじゃなかった」

「アンタの話は全く面白くない。
 妹と話す方が楽しいわ」

「アンタは(私の大嫌いな)
 お祖母ちゃんによく似ている。
 お父さんの家系は皆、
 社会不適合な変人ばかり」

「(口答えすると)誰が家に
 置いてやっていると思っているんや!」

母が機嫌が悪い時は
よくののしられました。

父は発達障害の家系であるからか、
対人関係が上手くなく、基本的に
人に関心がありませんでした。

そういう環境から逃げたい一心で、
家を出て就職しましたが、
仕事も人間関係も散々で

一時引きこもりになった結果、
三年も経たない内に実家に
戻らざるを得ませんでした。

今度はさすがに母も反省したのか、
以前のような罵詈雑言はおさまりました。

また、定年退職したために
身体に余裕が出来たので、
当たる必要がなくなったのです。

相変わらず妹は我が物顔で
居座り、父も相変わらず。

唯一、自分に合う仕事である
試食販売を続けながら約12年間
耐え忍ぶことになります。

一度一人暮らしをしたために、
実家暮らしの有難さを知り、
また引きこもりの時に触れた
地元の人々の恩情に触れて
浄化された部分もありました。

幾分、両親や妹と良い関係を
築けるようになりました。

また、嫌な思い出しかない地元の
小学校や中学校を訪れてみると

「なんだ、こんな小さなところに
 いたんだな」

と吹っ切れたものでした。

嫌い過ぎて、氏神様への御参りも
していませんでしたが、少しずつ
向き合うようになりました。

「逃げたから、逃げた分良くない結果になったのだ。

 今度は全てありのままに受け入れてから
『卒業』する形で家を出よう」

と決意を新たにしたものでした。

在宅勤務で住処を選ばなくて
良くなったことから、願いは
叶うことになります。

一人暮らしを打ち明けた時、
やはり母はまた責め立てました。

「まだ懲りないの?」

「また辺鄙なところへ」

「暮らしていけるの?」

「妹に私たちの世話を押し付けて、
 アンタは逃げる気?卑怯者」

今度は感情的にならず、
言葉少なに言いました。

「年老いるのはお母さんとお父さんだけでない。
 私だってそう。二人がいなくなって、妹と
 手を合わせて生活していきなさい
 となっても、自活能力は若い時に
 比べて遥かに劣るようになるよ」

それから黙々と家事手伝いしながら、
日々を穏やかに過ごした結果、
父も母も全面的に応援
してくれるようになりました。

そして今に至ります。

幼い頃から私は手のかかる
娘だったために、母は過保護で
過干渉になりました。

おまけに潔癖症で、支配欲も
強く自分の思うとおりにならなければ
癇癪を起して周囲に当たり散らす。

今思うと『毒親』だと認めます。

その証拠に、母がいないだけで
息も吸えるし、のびのびと出来て、
自由に窓を開けたり、好きな場所に
行けますから……

子供は親にとっての所有物ではありません。

真の親孝行とは老いた親の面倒を
見ること以外に、育まれたこの心身を
どう世の中へ還元できるようにするのか
……子供は親を越えようとするのも

ひとつの親孝行の形だと思っています。

今回のテーマをまとめると

①毒親から卒業するには
まず物理的距離を置く

②親も子も冷静になる

③両者とも互いの良い部分を認める

④一緒にいてダメならやはり離れる

比較的平和な方法を取りましたが、
このようにいかない場合もあるでしょう。

その場合、まずは親を

「大嫌い」

と認めても良いんですね。

育ててくれた恩もある
かもしれませんが、
親は子供を育てて当然ですので。

次回は毒親の定義について
話をしたいと思います。

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